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中学三年生

TERZO ANNO DELLA SCUOLA MEDIA

中学に入ってから吹奏楽部でクラリネットをはじめました。
同じ学年でクラリネットパートになったのが
ゆみちゃん、ともちゃん、まゆちゃん、セキヤさん、スズキの5人で、
時々部活動の曲とは別に、6人でアンサンブルをやっていました。
特にわたしが好きだったのはモーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』で、
それを題材に、卒業を前にして書いたのがこの詩です。
学校代表として選ばれ、市の文集に掲載されました
(1989年12月浦和市教育研究会国語部編集発行「うらわ」第31号中学校編)。

フィナーレ: Rondo

セレナーデを奏でましょう
いつもより速いテンポに遅れないで
華やかに奏でるのです

次のテーマのソロは誰ですか
楽譜にかくれて
うつむき加減のお嬢さんが
スラーのきれいなメロディを
恥ずかしそうに吹きました
次のテーマのソロはわたしです
体を揺らして
元気すぎるお嬢さんが
スタッカートの軽快なメロディを
意気揚々と吹きました

夕べの音楽を奏でましょう
ありったけの力と自由な旋律
もうこれで最後の曲なのだから

同じ文集に選考漏れしてしまったのが、野球をテーマにしたこの詩です。
これも中三の時の作品です。
8月の野球部の引退試合を見て、確かレフトで5番の初恋の人について書いた詩。
今や彼もいいおじさんになっているんだろうな。

プレイボール

いつまでもここにいたかった
一歩でも勝利に近づきたかった
ほのかなひとかけらのガムの匂いがする
遠のいていく初夏に溶けそうな午後

日射しに焦げたアンパイアの腕も
見えないくらいの隔たりがあって
まごついたり
変に緊張したり
緩い坂道に止めた芝生色の自転車に
握手を求めたくなったりした
大地に吸いこまれそうなボールを
大木から削りとられたバットが
風のように流してゆく
でんぐり返しでもできそうな
そんな雰囲気に
拍手を浴びせたくなった

入道雲が横切った
こんなときは
方程式より高く
三平方より高く
ボールをとばしたい
空の彼方へ
雲のすき間へ
ホームランを打ちまくりたい

塁をたどって泳ぎついたら
潤された喉が懐かしくなっていることもある
そんな気分にもう一度浸れるなら
傾きかけた太陽と
いつまでもここにいたかった

学内の全員詩集掲載のために書きました。
当時司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んでいたので、
それに影響されて坂本龍馬の奥さんのおりょうさんになりきって書いた作品です。

月琴 -桂浜の月に思ふ-

それは
土佐桂浜の月に似て
月の琴と名付けたわけが
心痛いほど分かります
それは
五大州のほんのわずかな光を受けた
出島からの贈り物
五大州を愛し過ぎた
土佐風雲児からの贈り物

初めて独りで過ごした
寒い寒い霜月は
新しい国のもとにあります
だからもう心配しないで
あの時から
生きる術を失いかけたけど
命の限り、と過渡期の志士が
手がけた夜明けに身を傾け
よりかかって生きています
そんな中で
桂浜の水平線から
竜と馬とが
後ろを気にして
天に昇るのを見ました
悔やんでいるのですね
船が好きで
海を愛し
潮風の中で船を動かすという夢を持った
けれど叶えられず
夜明け前を風のように通り抜け
維新見ずして命絶え
あふれんばかりの悔やみでしょうね

月琴を思い出して
反幕佐幕に割れた民を
操りきれぬように
四弦と八柱を
巧みに操ることは難しいでしょう
だからもう心配しないで
江戸に咲いて
京に散った
あなたを片時も忘れはしない

次は卒業文集からの抜粋。
14歳のわたしって…。

I’ll like English forever!

一年生の時、ふとしたことから英語弁論暗唱大会に出場したわたしは、
三年連続同大会に出場する羽目となってしまったのです。
ここではそのことについて少し触れたいと思います。

中学に入って初めて英語を習ったわたしは、いわゆる「カタカナ発音しかできない純日本人」で、
数々の英語科の先生、AETの先生の手を焼かせました。
特に昨年は、校長先生、三年間授業を担当していただいた富田先生が
「脱カタカナ発音」への道を切り開いてくれて、とても嬉しかったです。
そのかいあって、市大会暗唱三年の部で六位という成績を修めることができ、
毎日のように唱えていたPaul Bunyanの物語にも感謝しています。

こうしてわたしが英語を学んで、それを通じて考えたことはたくさんあります。中でも…
“Rome wasn’t built in a day.”
“I just follow my nose.”
一日一日の生活、それぞれの道を歩むにあたってこれらの言葉は大切です。
そしてこの通りに本当に生きられたらいいなぁと思います。

高校になったら発達したAET制度を利用してよりいっそう英語学習に励むとともに、
中学での学習、AETのメリッサ先生と話したことを思い出してめげないようにしたいです。
最後に、
I remember classmates.

現代のアメリカのヒーローと言えばオバマ大統領なのかもしれませんが、
中三の時の英語の教科書には「ポール・バニアン」という巨人の伝説が載っていました。
「ポール・バニアンはアメリカの英雄である」ではじまるこの文章は、
わたしが市の英語弁論暗唱大会に出場するために選んだものです。
一・二年時にも出場したのに入賞できなかったわたしが
やっと三度目の正直で六位入賞を果たした、
記念すべき大会でした。
六位ですが、ちなみに参加者は10人くらいだったような気もします。
大会っていっても、文章を舞台の上で暗唱してくるだけなんですが…。
当時からそりゃー発音が悪かったわたしは(舌の手術の話さえ出た)、
先生の特訓を受けてもダメだったんですけれど、
自分ではペラペラだとでも思っていたんですねー。
恥ずかし。
卒業文集に書いている英語、文法間違ってるよ!
しかもなぜ「ローマは一日にしてならず」を挙げてるんだ!
当時からローマかよ…。
それにしても文体が今と全く変わらないのがむかつきます。
まぎれもなくわたしの文章ですわね。
ちなみに当時の夢は、
『なるほどザワールド』のひょうきん由美ちゃんみたいなアナウンサーでした。
その後、英語教育の進んだ高校に無理して入学しましたが、
完全に落ちこぼれて今に至ります。
アナウンサーになれなかったわたし、
中学三年間で学んだ英語で今の仕事を何とか頑張っているってことです。

Paul Bunyan - An American Hero

Paul Bunyan was an American hero. He was a giant.
So people called him Giant Paul.

When Paul was a boy, his teacher had to say, "Paul, you should not put up your hand.”
Once he did that and he knocked a hole in the ceiling of the classroom.

Paul lived in the woods.
He was the best woodcutter.
He could cut down trees very well.

He was the best hunter, too.
He could kill ten running deer at a time.

He had the sharp eye of the true hunter.
His sight was so good that he could shoot birds that were flying miles high.
When they fell to the ground, they were already bad.

Paul was good at playing baseball.
He used a big bat made of an oak tree.

He hit any ball, and when he hit a ball, he always made a home run.
He hit the ball over the horizon.

He was a good catcher.
He caught any ball. His team never lost a game.

Paul ran very, very fast.
When he started running, he soon left his shadow behind.
From time to time he had to stop and say to his shadow, “Hurry up, my friend!”

He was speed itself.
He was so quick that he could blow out his bedside lamp
and jump into bed before the light went out.



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